『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想

紙鶴です。表題通り。ネタバレ含む。あしからず。

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「冒頭5分で泣く」、Twitterで得た前情報に漏れることなく、開始数分で泣いた。TV版 第10話でのエピソードと地続きになった冒頭。泣かない方がおかしい。

手紙の効力は基本、宛先の当人にしか働かない。そう思っていたが、違った。手紙が残ればそこに載せられた想いも残る。残った想いは手に取った人に伝播する。たとえそれが宛先の当人でなかったとしても。

 

技術革新により電話が普及しつつある時代。アイリスが愚痴をこぼすくらいには、手紙文化もといドールの未来は決して明るいものではない。それでも、言葉を手紙に載せることでしか伝えられない想いもあるのだと、ヴァイオレットとデイジーが本編で示してくれた。

 

ヴァイオレットがギルベルトに宛てた最後の手紙は、数多くの想いを紡いできたヴァイオレットにしては、あまりに単調なものだった。ただ、それは、ヴァイオレットが1人、想いを積み重ねる中で圧縮され、凝縮された過不足ない言葉だけ。それだけだった。

手紙は言葉を紡ぐことができる。電話や会話と違って、好きなだけ時間をかけて、好きなだけ試行錯誤できる。一言一言相手のことを想いながら、感情を文字にできる。口からは言えないような、正直で素直な本心も、手紙でなら伝えることができる。デイジーのように「ありがとう」や「あいしてる」を。

 

ユリスに関してはクラーラが重なってもうダメ。特に何かを語れるほど冷静になれない。想いを伝えられることがどれだけ尊いのか、ただそれだけ。それだけ。

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』では手のカットが印象的だった。自動手記人形としてタイプライターを打つ義手が目に焼き付いていた。

本作で印象的だったのは背中。水平線を眺める彼女。ギルベルトの家の前での彼女。島からの帰路に就く彼女。戦う道具でもなくドールでもなく、1人の女性、ヴァイオレット・エヴァーガーデンとしての背中が、こちらに背を向け未来を見る彼女の背中が、目に焼き付いて離れない。

 

 

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ありがとうございました。

 

 


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