紙鶴です。『ミッドナイト・ゴスペル』第4話「自らの終わりに惑わされ」の感想やってくぞー。
第4話「自らの終わりに惑わされ」
【ゲスト】トゥルーディ・グッドマン(Trudy Goodman)
心理学者。インサイトLAの創設師範でマインドフルネス提唱者。瞑想と心理療法の2つの分野を専攻。1991年から1998年までケンブリッジ仏教協会の常駐禅教師をしていた。
ハンモックから落ちたクランシーは第1話で拾ってきた犬の中へ。完全にキマる。
PCを見るとダニエルがリスナーをやめると言っている。権力者である父親がクランシーを殺すとまで言っているらしい。悲しみに暮れながらもクランシーはシミュレーターに紹介された快楽の星へちん○んが複数個ついてるアバターで向かう。ちん○んが複数個ついてるアバターって何?
惑星へ向かう途中、第3話で惑星を脱出したねこ船とぶつかり行き先強制変更。快楽とは無縁の排他的な世界へ。そこで本作一のイケメン女性トゥルーディと出会い、インタビューが始まる。
ポーションクエストの道中で会話は続けられる。怒りへの最善策は許すことだとトゥルーディは言う。これに対しクランシーは「許しは懸垂の棒だね」と言う。見たときにはできないと感じると。だから許しにはサポートが必要があると神秘主義詩人ルーミーの言葉を引用しながらトゥルーディは説明する。ここでの懸垂の話もそうだし、この後に出てくるやつもそうだけどクランシーのする例え話、めちゃくちゃわかりやすい。
途中、トゥルーディは城にいる王子ジャム・ロールを見つける。王子の指差す先にはトゥルーディの最愛の人の生首が……。ジャム・ロールがトゥルーディの恋人をさらったわけなんですけど、さらい方なんなの? 尻で吸い込む新種のカービィなの?
……話題は孤独へとシフトする。トゥルーディは孤独だった。「許しやマインドフルネスや愛と同じ。1人では成り立たない」、だから仲間が欲しいと感じていた。孤独は現実との接触で救われるが、話す相手もいない完全な孤独にどう対応すればいいか、とクランシーは問いかける。 トゥルーディは”書く瞑想”や仲間を探すことが大事だと答える。孤独は自分だけのものではない。他人も孤独を持っている。孤独な人も集まれば孤独ではなくなる。「空腹時には食べ物」、至言である。
クランシーはパーティでの出来事を話し始め、話題は死生観へ。トゥルーディは死が確実に訪れることを分かっていたら他人の奪うことへの後悔は減ると言う。死を理解する、第2話での話題とリンクするね。人はいずれ死ぬって当たり前のことだけど、ちゃんと理解できるのは死んでからのような気がする。”命は限りあるから美しい”なんてありきたりな言葉、何回も聞いてきたはずなのに死ぬ間際まで(最悪死ぬまで)わからないままなんじゃないかと思う。死んでもわからないままなのかも。
インタビューも終わりに近づき、いよいよジャム・ロールとの決戦へ。ジャム・ロールは自身の鼻をもぎ取り、下半身を露出しながらヘッドスピンをし、尻が裂け、死に、全てを無に還す光となった。めでたしめでたし。
クランシーは持って帰ってきた花を庭に植える。リスナーのダニエルを失い、孤独になったクランシーが”現実との接触”を求めるべくおこなった行動なのかな……とか考えている最中に吐かれるゲロ。考えるのを止めた。
総括
今回も瞑想や死生観が根底にあるももの主題は孤独だったのかなと。孤独と如何に付き合うか。第3話での金魚鉢男は魔術(瞑想)で、今回のトゥルーディは他者との交流だった。物語も中盤にさしかかり、第1話での瞑想の話や第2話での死生観の話、第3話での声のエネルギーの話など、各話の話題が少しずつ連鎖していってる気がする。この感じ、ゾクゾクとするね……。オムニバス形式なのにこのストーリーの繋がりはすげぇなと。
あと、「聞くことは宇宙との交信」ってクランシーが言ってたけど、これ、シミュレーターによるスペースキャストは瞑想の一環だって意味にも取れるかな。
第4話で一番良かった言葉「心を決めると世界はそのように動くものね」。トゥルーディ、ほんと聞き上手だしかなり好きなキャラ。