紙鶴です。『ミッドナイト・ゴスペル』第2話「士官とオオカミ」の感想。
第2話「士官とオオカミ」
【ゲスト】A・ラモット(Anne Lamott)
政治活動家、講演者、執筆教師。著作の主題はアルコール依存症、シングルマザー、うつ病、キリスト教について。
処女作の『ハード・ラフター』は、彼女の父親の脳腫瘍の診断後に書かれた。
【ゲスト】R・マーカス(Raghu Markus)
プロデューサー、ポッドキャスター。Mindrolling Podcastを運営。
ラジオの忠告完全無視して絵文字をダウンロード。案の定PCはバグる。クランシー……お前……。「怒鳴られると集中できません、友達なのに」って言うシミュレーターちゃんかわいいなーって思っているのもつかの間、PCの電源引っこ抜いて再起動をするクランシー。むちゃくちゃだ。
その後、広告の誤タップにより購入したアバターで道化師の星へ。ハエ?を食う植物の実から道化師が成り、その実を食べるクランシー。そして道化師を食べるシカ犬。……シカ犬って何? あと、道化師の子どもが生まれてから食われるまでの展開の早さよ。シカ犬、クランシー共々ナマステックスを打たれ、そのまま食肉処理場へ。背中から乳首かけてシカ犬の角刺さってるんですけど……。
これから屠殺されに行くってことで死を受け入れることについての話が始まる。死に直面する経験が多いラモット。今では不安はないが、知識がなかった昔は死が怖かったと言う。そんな死生観の話をしている最中に「正直ウンコがしたい」ってクランシー……
マジでお前……。
話は死生観に戻り、「死を経験して”まあ いいわ”と言えるのよ」とシカ犬は言う。これ、経験したら受け入れられるけど、経験したことのない出来事のことはよくわからない(死んだことがないから死がよくわからない、受け入れられない)って一般論なだけなのよね。それだけなんだけどね……。
そしてシカ犬もクランシーも仲良く”食肉処理”されるのである。死の経験。
”死後”も話は続く。死が現実になり、苦痛を感じながらも神に降伏する、それが死を受け入れることだとシカ犬は言う。死を受け入れることは難しいけど、死んでしまえば”まあ いいわ”ってなっちゃうんだろうねって話。まさにマントラ(真言)。その後も肉片は移動しながら死への恐怖と創作の話やキリスト教と瞑想の話等々続ける。何を見ているのかわからなくなってきた。最初からだけど。
話題は愛へと移り変わる。マーカスは「愛とはどのぐらい相手を幸せに出来るかなのさ」と言い、それに対しクランシーが「僕にとっては一番難解な概念だよ」と言う。ここの話、後々効いてくる。
そして戦争が始まる。え?
死ぬのが怖くて眠れない女の子の話。イエスではなく肌がある人がいい、と。信仰ではなく愛。「愛があれば痛みが薬に変わ」り、死すら乗り越えられるのだ。じゃあ、愛がなかったら?
総括
死生観、特に「死を受け入れる」あたりの話や愛についてがメイン、サブとしてクランシーが「姉から貰ったお金で宇宙シミュレーターを買った44歳」だと明かされた第2話でした。「死は出産の過程」ってくだりも最終話に活きてくる、後から見返すとなかなかに興味深い回です。『ミッドナイト・ゴスペル』、最低2周はした方がいいです。
あと、ダンカンって誰?
参考